2015年6月7日(日) 詩編103編 生かされている命


主はわたしたちを
どのように造るべきか知っておられた。
わたしたちが塵にすぎないことを
御心に留めておられる。(詩編103:14)

 私たち人間は、主なる神によって土の塵で形づくられ、その鼻に命の息を吹き入れられて生きる者となりました。その生涯は、きょうは華やかに咲き誇っていても、明日はすぐにしぼんでしまう野の花のように短く、儚いものです。いかに地上で自らの栄光を誇ってみても、それらはすべて、風がその上に吹けば消え失せ、その存在さえも、時間と共に忘れ去られてしまいます。神の憐れみなくしては、人は一瞬たりとも生きることができない存在なのです。

 その一方で、人間は、神の創造の冠として、他の被造物に優って神にかたどって造られました。元は塵泥に等しい脆い器であっても、永遠を思う心を与えられ、神と親しく交わることが許されています。神は大きな慈しみによって、主イエスをお遣わしになり、私たちの背きの罪を赦してくださいました。主イエスを復活させられた神は、主イエスと共に私たちを新しい命の内に生かしてくださいました。神は人を新たに造りかえる知恵と力をお持ちです。脆く壊れやすい器も、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を映すものとされるのです。