2015年6月16日(火) 申命記12章 純粋な神礼拝


あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。(申命記12:7)

 イスラエルの民は、「主がその名を置く」場所(5、11節)で礼拝し、「主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい」(7、12、18節)と命じられました。

 これは、私たちの神礼拝の素晴らしさを教えています。家族と共に食べて祝うのですから、神礼拝とは祝宴そのものです。しかも、そこで私たちの手の働きすべてを喜ぶのです。イスラエルの民は、荒れ野の40年間、主から必要な物をすべて与えられました。私たちの1週間にも、同じ主が共にいてくださり、私たちの手の働きすべてを祝福しておられます。その実りを携えて、感謝と喜びの内に進み出るのが神礼拝です。

 このように、神礼拝とは、私たちを見捨てることなく、祝福をもって導いてくださる私の神の御前に進み出ることです。だからこそ礼拝は、喜び溢れる祝宴そのものなのです。この神礼拝の中心がはっきりしているならば、私たちの礼拝生活は、主なる神だけを一途に求める純粋な神礼拝となっていくのです。