2015年7月3日(金) 2コリント1章 苦しみの中での慰め


神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。(2コリント1:4-5)

 パウロは、キリストが経験されたのと同じような苦しみを受けて苦しんでいます。それをパウロはこの手紙に書いています。

 それは、キリストにおける苦しみでした。キリストを知らない単なる苦しみは、ただ苦しいだけで終わってしまい、やがて、それは死となって空しいものとなってしまいます。けれども、キリストにおける苦しみは、キリストが苦しみと死に十字架で勝利されたことで、私たち人間の救いとなりました。その救いにおいてパウロは苦しみを語ります。キリストにおける苦しみは、真の慰めであるとパウロは力強く語ります。

 同時にパウロは、この慰めは神からいただいた賜物であると断言しています。この慰めを受けた者は、自分だけが満足するのではなく、その慰めをもって、ほかの人をも慰めることができるようになるといいます。

 私たちの受ける慰めは、神からきています。今でも、私たちが苦しむとき、主イエス・キリストが働いて私たちを慰めておられます。だからこそ、その慰めを隣人に伝えてキリストを証しする私たちでありたいと思います。