2015年8月7日(金) 2コリント11章 自らの弱さを誇る幸い


誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。(2コリント11:30-31)

 特に23節から始まるパウロの苦難の一つ一つは、これを読む私たちに強烈な印象を与えます。ここでは、これらの一つ一つの苦難を「肉に従って誇っている」(18節)と言い、「愚か者になったつもりで」(21節)と語っています。パウロと「同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです」(12節)。パウロは、自慢話として、自らの労苦をひけらかしているのではありません。

 その上で、パウロは、コリント教会内に在ったと思われる反パウロ派に対して、自らの弱さを誇り始めます。これは驚くべきことです。パウロは弱さの中にも、神の恵みの業である十字架と復活のキリストが色鮮やかに表れることをよく知っていました。自らの弱さの中にこそ、キリストの豊かさが栄光となって表れることを経験した人でした。

 何のために何を誇るかに、その人の信仰が映し出されます。劣等感も、肉を誇りたいという思いの裏返しか、とも思わされました。「わたしの弱さにかかわる事柄を誇る」と言える者に与えられている主に在る幸いを思わされるばかりです。