2015年8月23日(日) 箴言20章 罪深い私を救ってくださるキリスト


慈しみとまことは王を守る。
王座は慈しみによって保たれる。(箴言20:28)

 20章の賢者は、当時の商取引において横行した不正について熟知しています。「おもり石の使い分け、升の使い分け」はいずれも主の憎まれること(10節)。「おもり石を使い分ける」ことは主にいとわれる。「天秤をもって欺く」のは正しくない(23節)。売り手と買い手との間にはしばしば利害が生じて、裁判沙汰になることもあったと考えられます。

 そこで賢者は、法廷に臨む原告にも被告にも神への畏れを促す役人のように語ります。「王の脅威」は若獅子のうなり声、彼を怒らせる者は自分を危険にさらす(2節)。「裁きの座に就いている王」は、その目でどのような悪をもふるい分ける(8節)。「賢い王」は神に逆らう者を選び出し、彼らの上に車輪を引き回す(26節)。

 「王」の前に立つことは、神の裁きの前に立つことです。わたしの心を潔白にしたと誰が言えようか。罪から清めたと誰が言えようか(9節)。主なる神に望みをおく者が救っていただける(22節)。慈しみとまことによって守られる「王」こそ、罪深い私を救ってくださるキリストです。