2015年12月10日(木) イザヤ56章 祈りの家の祝福


また、主のもとに集って来た異邦人が
主に仕え、主の名を愛し、その僕となり
安息日を守り、それを汚すことなく
わたしの契約を固く守るなら

わたしの祈りの家の喜びの祝いに
連なることを許す。(イザヤ56:6-7)

 56章では安息日への注意と関心が、前面に現れます。バビロン捕囚からの帰還という歴史的な変化を踏まえた言葉が、ここから始まります。歴史と社会が変化するとき、神の民の霊的な課題もまた変化を遂げることが多いと考えるべきです。

 何よりも大きな変化は、バビロン捕囚以後の救いの歴史が、異邦人の救いという、世界的な視野を持つに至ることです。礼拝から排除されていた「宦官」(3節)にも契約の恵みが適用されます。救いの扉が広々と開け放たれるとき、招かれる私たちが神の愛に相応しい応答を返すことは当然の責務です。その中心に置かれるのが、安息日を正しく守ることです。深い注意を寄せるべきなのは、安息日を守ることが、決して形式上の義務として教えられてはいないことです。

 「主に仕え、主の名を愛し、その僕と」なる安息日の生活が、霊的な深みを保つことを神は要求しておられます。安息日とは、神への愛が輝く日です。神の僕としての喜ばしい献身が実を結ぶ日です。それは「祈りの家」に住まう喜びです。この喜びに招くため主イエスは来られました。