2016年3月5日(土) ルカ15章 愛はじっとできない


ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカ15:20)

 放蕩息子の父親は、まだ遠くにいる息子を見つけて走り出しました。着物の裾をまくって走る姿は父親の威厳をそこないます。それでも彼は走るのです。そして汚い身なりの息子を抱きしめ接吻する。これは二人の関係の回復を意味します。この回復は父親の方から始められ、息子の罪の告白にも先立っています。

 息子は言いました。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。」告白の内容を、息子はあらかじめ用意していましたが、この先の言葉は父親によってさえぎられました。罪の告白が途中でさえぎられたのです。「彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける」(イザ65章24節)。

 この父親の愛の姿は私たちに向けられた神の一方的な愛を教えます。同時に忘れてはならないのは「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」(ヘブ9章22節)ことです。このたとえを語られた主イエスの十字架によって私たちも罪が赦され「アッバ、父よ」と神を親しく呼ぶことができるのです。