2016年3月16日(水) ヨブ4章 苦悩する友の傍らで


あなたを疲れさせるだろうが
誰がものを言わずにいられようか。
あなたは多くの人を諭し
力を失った手を強めてきた。
あなたの言葉は倒れる人を起こし
くずおれる膝に力を与えたものだった。
だが、そのあなたの上に何事かふりかかると
あなたは弱ってしまう。
それがあなたの身に及ぶと、おびえる。(ヨブ4:2-5)

 「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、1トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ」(『塩1トンの読書』)。わたしが大切にしている本の一節。塩は一度にたくさんなめることができません。少しずつ味わうものです。そのように嬉しいことも悲しいことも共に少しずつ長い時間をかけて経験していくことで、やっとひとりの人を理解する入口に立てる、とその言葉は教えてくれます。

 ヨブの苦悩に友人エリファズは言葉を向けます。彼はためらいがちに、それでもヨブの嘆きを咎めずにはおれません。エリファズはヨブの輝かしい過去を知っています。ヨブのことをよく理解しているつもりでした。だからこそ、ヨブが嘆きに身を浸すのはふさわしくないと言葉を重ねます。しかし、エリファズは、今、ヨブが何に苦しみ、どのような言葉を必要としているかに心を向けていません。

 この時、エリファズが友人としてできた唯一のことは、ヨブに寄りそい、その痛みを理解できなくても、発せられる嘆きに耳をすませることではなかったでしょうか。それが共に少しずつ塩をなめるという営みに繋がったはずです。