2016年5月14日(土) ヘブライ11章 見えない希望を信じる


信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。(ヘブライ11:1-2)

 「信仰」とはどういうことかを考えるときに、なにより大事なのは、信仰に生きた「昔の人たち」の生きざまに学ぶことだと、この11章は教えてくれているように思います。

 大洪水が来る予兆など何もないのに、信じて箱舟を造ったノアのように(7節)。ただ神の導きを信じて「行き先も知らずに出発した」アブラハムのように(8節)。

 こちら側には何の手がかりもないのに、目には見えない希望の約束だけを信じて、飛び込んでいく。彼らのような信仰が、自分のうちにあるだろうかと、気後れを覚えさせられます。

 しかし、11章を読み進めているうちに、違う視点をも与えられました。人の「信仰」に先立つ「神の恵み」の視座です。つまり、23節以降を、「信仰によって」を「神の恵みによって」と置き換えて読むような視点です。

 「昔の人たち」が偉大なのではなく、彼らに「信仰」を与えてくださった神の恵みが偉大なのです。そして神は、彼らと共におられたように、私たちにも信仰を与え、共におられます。