2016年5月19日(木) ヘブライ12章 今こそ、踏ん張り時


また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。…エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。(ヘブライ12:16-17)

 目の前に困難な現実が続くことで、自暴自棄になってしまって、神への信仰を投げ出してしまいたくなる時があるでしょう。しかし、たくさんの信仰の先輩たちが、まるで沿道からランナーを励ますようにして、私たちを囲んでいます(1節)。今が踏ん張り時だ、と。主イエスは「信仰の創始者また完成者」として(2節)、マラソンを始めさせ、走り抜かせてくださるトレーナーです。この方が、半歩先を一緒に走ってくださっています。

 このマラソンからの脱落者の例として、エサウが挙げられているのは興味深いことです。彼は、今すぐここでのインスタントな満腹を求めて、一番大事なものをやすやすと売り渡し、取り返しのつかないことになりました。私たちは、今すぐここでの快楽に流され、永遠の宝の希望から離れてしまうことがないようにしたいのです。

 苦しい時こそ、一歩一歩を刻むようにして、毎日こつこつと聖書を読み、お祈りをし、霊的に養われることを求めることです。その積み重ねが、あなた自身を変えてくれます。