2016年7月7日(木) ヨハネ20章 主にお会いする(1)


イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(ヨハネ20:16)

 日曜日の朝早く、マリアは主イエスの墓に行きます。けれどもそこに納められているはずの主イエスの遺体は見当たりません。とうとう泣き出してしまいます。わたしの主が取り去られてしまった、と。復活が信じられないマリアの信仰は未熟です。しかし主イエスを愛する気持ちは純粋で深いのです。

 そのようなマリアに、主イエスはなぜ泣いているのか、と声をかけてくださいます。泣かなくてもよいのだよ、わたしはここにいるのだから。弱い信仰だと咎めたりなさいません。主イエスへの愛をご存じでいてくださるからです。

 復活の主にお会いしてマリアはすがりつきます。死から命に。絶望から喜びに。頭で考えるより先に心が反応してしまいました。もう放さない、どこにも行かないでください。主イエスは言われます、わたしを地上につなぎ止めないように。これから父のもとに行くのだから。

 わたしは夢を見ます。わたしのような者でも御国に入れていただいたら主イエスにハグさせていただけるだろうか、と。