2017年1月31日(火) ローマ2章 払いきれない罪の代価


神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。(ローマ2:4-5)

 罪の代価は払いきれないものです。まず、人類の罪を考えてみるとどうでしょう。神の作品である美しい世界を治めるよう、人類は特権と使命を与えられました。しかし、互いに殺し合う戦争はエスカレートし、今や世界を破壊する兵器まで存在します。

 核兵器廃絶を願いながらそれができない現実は、わたし個人にも当てはまります。自分の欲する善は行わず、願わない悪を行ってしまう自分がいます。天地万物の創造者が「地球を元通りにして返せ」と要求されたら、その代価はどれくらいでしょうか?人類もわたしも、神の怒りを自分のために蓄えています。

 人類もわたしも、罪の代価を払いきれません。わたしは自分の罪の代価も払いきれませんが、わたしが地球規模で巻き込まれている罪の代価も払いきれません。わたしも人類も罪の奴隷です。

 罪の奴隷から解放される身代金を神は要求なさいますが、それを神自らお与えくださいました。払いきれない罪の代価を払える方を、神は救い主として与えてくださいました。ここに愛があります。キリストの十字架には神の忍耐と寛容があります。