2017年4月15日(土) ガラテヤ3章 呪いを引き受けられた主イエス


キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)

 当時のユダヤ人たちが、神を冒涜する者を処刑する方法は石打ちでした。しかし、ヨハネによる福音書の中でユダヤ人指導者たちがいみじくも言っているように、彼らには死刑を行う権限がありませんでした(ヨハ18章31節)。もちろん、ステファノの殉教の例が示すように、権限がなくても、しようと思えば石打ちの刑にすることもできました。しかし、ユダヤ人たちが主イエスを自分たちの手で処刑しなかったのは、主イエスをローマ皇帝に反逆する王として、ローマ人の手で処刑させたかったからです。結果、イエス・キリストは十字架の上で死を遂げられました。

 けれども、神の救いのご計画は、この人間的な思惑をはるかに超えていました。神にはキリストを石打ちではなく、十字架の木にかける必然性がありました。ご自身が律法の書で伝えていた通り、「木にかけられた者は、神に呪われたものだからである」(申21章23節)。

 そうです。律法を完全に守ることのできない、呪われた「わたし」に代わって、主イエスが十字架の木にかかって、「わたし」の呪いを背負ってくださいました。