2017年5月15日(月) 創世記1章 神の霊が水の面を動いていた


初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。(創世記1:1-2)

 使徒信条で「我は聖霊を信ず」と告白します。「聖霊」について何をどう信じているか、それを今週確認します。

 聖霊のことは、創世記の冒頭に記されていますので、ハイデルベルク信仰問答 問53の答にあるとおり、この方は永遠の存在、永遠の神です。天地創造の初めからおられた、ということです。

 天地創造のとき、聖霊は何をしていたのか。その後どうなったのか。実はこの点について、あるユダヤ人たちの理解が私たちに、非常に興味深く、大切なことを教えてくれます。「神の霊が水の面を動いていた」とありますが、「動いていた」という言葉は、雷が落ちる前のように、エネルギーが溜まってブルブルと動いているさまを表す言葉だそうです。落ちるか、爆発するか、次の段階を待っている動きを表す言葉です。しかし、天地創造が終わっても、聖霊の次の段階の動きはありません。創世記の中でも、完結しません。

 やがてユダヤ人たちはこの聖霊がいつ落ちるかに関心を抱くようになりました。預言者の中ではイザヤが特に関心を持ち、救いの到来を預言するときに「ついに、我々の上に霊が高い天から注がれる」(32章15節)と表現しました。