2017年8月24日(木) ヨハネ17章 悔い改めの実


永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。(ヨハネ17:3)

 「十戒」は、主に従っていく者の確かな道しるべです。

 神の御心を知り、それを大切にして生きることは言うまでもありません。けれどもそこに大きな落とし穴があります。それは、私たちは救われたといえども、なお罪人であるという事実です。この事実を忘れて、もう自分は清い者・正しい者・立派な者だと思うなら悪魔のわなに見事に捉えられてしまいます。晩年のダビデやソロモン、また使徒ペトロも一時そうでした。

 かつてわたしが教会に行き始めた頃、クリスチャンの人生は、罪の償いの生涯ではないかと受け止めたことがあります。菊池寛の作品『恩讐の彼方』に強く影響されたのかもしれません。誤って人を殺めた主人公が僧侶となって全国を行脚し、遂に難所の青の洞門を槌で掘り抜いた逸話です。そんな、わたしの信仰を心配した牧師夫人が何度も話し合いの時を持ち、長く丁寧な手紙まで書き送ってくださいました。悔い改めと償いとは全く違うことを学びました。

 罪の償いは、主が十字架で既に成し遂げてくださいました。私たちは、主の救いを感謝して受け止めればよいのです。