2018年3月4日(日) マタイ6章24-34節 もっとも大事なことを見分ける


「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:31-33)

 思い悩むというならば、主イエスほど思い悩んでもおかしくない方はおられないでしょう。エルサレムに上り、異邦人の手に引き渡され、辱められ、十字架につけられることになっておられるのですから。しかし主は覚悟を固く決められ、その使命を果たすことを決心されました。そのお姿を思うとき、衣食住をいろいろ心配する私たちは恥ずかしい思いがします。

 けれども、そういった弱さを持つ私たちに主が激励の言葉を語ってくださいます。小鳥のことも見守ってくださり、私たちの髪の毛の数までご存じの天の父がおられるから、思い悩む必要はない、と。天の父は、その独り子をも惜しまないで、私たちの救いのために犠牲にしてくださるほど、私たちのことを愛してくださるお方です。逆境の時にも困窮の折にも、見守り続けてくださるお方です。

 だからといって、何の緊張もなく、求めるべきものもないというわけではありません。これほどまでに私たちを愛してくださるお方にいかにして感謝し応えるべきでしょうか。「御国が来ますように」と祈って主の掟を忠実に学び、守ることではないでしょうか。