2018年4月14日(土) 創世記39章 泣きっ面に蜂の人生に


主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。(創世記39:2)

 兄たちによって穴に落とされ、やがてイシュマエル人に売り渡されたヨセフは、エジプトに連れてこられています。ファラオの宮廷の役人で、侍従長をしているポティファルという人の下にいます。かつては何不自由のない恵まれた環境にいたヨセフですが、今は売られて奴隷となっています。

 さらにこの彼を苦難が襲います。ポティファルの妻の誘惑をヨセフは拒みます。すると彼女は逆に、奴隷であるヨセフに誘惑されたと主人に訴えます。主人は怒り、無実であるにもかかわらずヨセフを監獄に入れます。穴に落とされてからのヨセフの人生は、「泣きっ面に蜂」の不運な人生と言わなければならないでしょう。

 しかし、聖書はこのヨセフについて驚くべきことを語ります。この箇所で、「主が共におられた」と何度も繰り返して語られているのです(2、3、21節ほか)。2節は、「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり」(口語訳)とも訳されます。主が共におられる幸運な人生は、何も辛い目に遭わない人生ではありません。苦難の中でも守られ、支えられる人生です。