2018年4月20日(金) 創世記44章 ひれ伏して罪を告白する


ユダが答えた。
「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。」(創世記44:16)

 再びエジプトに戻って来た兄たちを、ヨセフはさらに試みます。ベニヤミンがヨセフの銀の杯を盗んだと疑われるような仕掛けをして、彼らを責め立てます。そのとき兄たちは、ヨセフの前にひれ伏します。そして、兄弟たちを代表してユダが語ります。

 ユダは、「神が僕どもの罪を暴かれたのです」と言います。この言葉は、「神は私たちの罪を見出した」、「神が私たちの罪に到達された」とも訳すことのできる言葉です。銀の杯のことは、全くの濡れ衣でした。彼らに暴かれなければならない罪はないはずです。「身に覚えはない」と言い張るのが普通です。それならなぜ、このようにユダは語るのでしょうか。

 ユダも兄弟たちも、これまでの出来事から、神がすべてをご存じで、22年前の出来事を今、暴かれている、裁かれている、そう思ったのです。

 兄弟たちは今、ひれ伏しています。ヨセフが若い日に見た夢が、時を経て実現しています。でも兄たちは、ただヨセフの前にひれ伏していたのではありません。神の裁きの座の前にひれ伏していました。私たちも皆、そうするほかありません。