2018年6月11日(月) イザヤ66章 皆が一つとなって


彼らはあなたたちのすべての兄弟を主への献げ物として、馬、車、駕籠、らば、らくだに載せ、あらゆる国民の間からわたしの聖なる山エルサレムに連れて来る、と主は言われる。それは、イスラエルの子らが献げ物を清い器に入れて、主の神殿にもたらすのと同じである、と主は言われる。(イザヤ66:20)

 イザヤ書の最終章を迎えました。「神に嘆き訴える共同体の祈り」に対する神の答えの残りの部分です。終わりの日にもたらされる回復が、従わない者への審判と共に語られています。

 神は全世界からご自分の民を集められます。19節に出てくる地名は、当時として考えられる限り、エルサレムからもっとも遠い国々です。それらの国の「彼ら」が「あなたたちのすべての兄弟」を神への献げ物として連れて来るのです。21節では、彼らの中から祭司やレビ人が選ばれることまで述べられます。すなわち、終わりの日に、もはや民族的にイスラエルであるかどうかを問われることなく、一つになって神を礼拝する時が来るということです。神を礼拝することこそ神の民である理由だからです。

 今の私たちの状態を見るならば、小さな一つのことが不和の原因となり、真の完全な礼拝からは、なお遠く隔たっていると思えることがあるでしょう。しかし神は、アブラハムに対する約束を守られます(創12章2、3節参照)。私たちも、この終わりの日の完成を祈り願いましょう。