2018年7月11日(水) ローマ11章 思い上がってはならない


折り取られた枝に対して誇ってはなりません。…ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。…神の慈しみと厳しさを考えなさい。…もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。(ローマ11:18-22)

 「ユダヤ人は聖書をあれほどよく知っているのに、なぜイエスをメシアだと信じないのか」という批判をしばしばキリスト者の口から聞きます。そういう意識に対して、「思い上がってはならない」と戒められています。パウロの時代から今に至るまでなくなることのない、非常に強い見下しの罠がここにあります。

 イエス・キリストによる神の救いは旧約聖書に記されている預言の成就である、と受け入れられるのは、まったく神の恵みによることです。ユダヤ人が正確に聖書の一言一句を保存してきました。過酷な歴史のなかでユダヤ人たちが世界各地に散らされて、聖書の言葉とその理解は伝えられていきました。私たちの聖書理解はこれによって支えられてきました。「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです」(18節)。

 パウロは、何とかしてユダヤ人を救いたいと言います(14節)。それ以上に神が、「すべての人を憐れむため」、秘められた計画を御心のままに進めておられます(32節)。思い上がりに対して、神は厳しく臨まれます。神の慈しみにとどまりたいものです。