2018年8月2日(木) マタイ23章 わたしたちの父よ


「だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。」(マタイ23:8-9)

 たとえば、教師が生徒に「ここを直せばあなたはよくなる」と話します。親は我が子に「もう少し努力すれば必ずよくなる」と熱く語ります。けれども、語った本人は口先だけで、自分はしていないことがあります。上に立つ者の立派な言葉は、その人自身の行動によって試されます。

 主イエスは、「父」とも呼ばれた律法の教師の偽善を暴かれました。彼らの行動は「すべて人に見せるため」でした(5節)。それに対して主イエスは、本当の教師であるのにどこまでもへりくだって、最後にはご自分の命さえ差し出してくださいました。この犠牲ゆえに私たちは神の子とされました。

 「地上の者を『父』と呼んではならない」という主イエスの言葉は、地上の家族を相対化させ、血のつながりを越えた家族の存在を示します。それが私たちの教会です。

 教会には、血のつながり以上の愛の関係があります。一人で祈るときも、それは孤独な祈りではありません。主は「わたしたちの父よ」と祈るように教えられました。「わたしたち」、小さなこの言葉は、「わたし」の壁を越えて共に祈ることへの招きです。