2018年9月13日(木) レビ22-24章 心も主に受け入れられるように


和解と感謝の献げ物を主にささげるときは、それが受け入れられるようにささげる。その肉はその日のうちに食べ、翌日まで残してはならない。わたしは主である。(レビ22:29-30)

 聖なる献げ物と祝祭日について、繰り返し「主に受け入れられるように」と言い添えて命じられています(22章19節等)。

 しかし、預言書を見ると、主に受け入れられるようにはささげられていなかった現実が指摘されています。「お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。…むなしい献げ物を再び持って来るな。…お前たちの新月祭や、定められた日の祭りをわたしは憎んでやまない。…どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない」と(イザ1章11〜15節)。「わたしの名を軽んずる祭司たちよ、…あなたたちは、わたしの祭壇に汚れたパンをささげておきながら、我々はどのようにしてあなたを汚しましたか、と言う。…わたしはあなたたちを喜ぶことはできないと万軍の主は言われる。わたしは献げ物をあなたたちの手から受け入れはしない」と(マラ1章6〜10節)。

 主は心を見られます。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(詩51編19節)。