2018年10月3日(水) ルカ15章 喜びへの招き


「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカ15:32)

 羊飼いのもとから離れた羊は生きていけません。人の手から失われた銀貨は価値を失います。そして、父親のもとを飛び出した弟息子は人生を浪費し、人間以下の惨めさを味わいます。

 ここには、神のもとから離れてしまった人間の悲惨が描かれています。神は、そのような失われた人間を熱心に捜し求めてくださいます。見失った1匹の羊を探し回る羊飼いのように、無くした銀貨を見つけるまで念入りに家中をさがす女性のように、そして息子の帰りを毎日待ち続ける父親のように。

 三つのたとえ話の最後は、いずれも喜びの祝宴への招きの言葉で締めくくられています。1人の罪人が悔い改めて神のもとに立ち帰るときに、「大きな喜びが天にある」のです(7節)。私たちはそのような「大きな喜び」をもって神の御手の中に取り戻された者です。そのことに感謝して、さらにこの喜びをもって神に仕える者となりたいと思います。罪人を招くためにこの世に来てくださったキリストのしもべとして、主の御心の実現を祈り求めて、きょうもそれぞれの場所に遣わされていきましょう。