2018年11月1日(火) エレミヤ13章 預言者の涙


あなたたちが聞かなければ
わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。
涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。
主の群れが捕らえられて行くからだ。(エレミヤ13:17)

 暗黒の支配を免れるために、信仰による立ち帰りをエレミヤが繰り返し語ったにもかかわらず、ユダの民は神に栄光を帰すことをしないで破滅を目前にしていました。かたや神はエルサレムに対する決定的な裁きを語り、預言者は神と民との間に挟まれて苦しみます。

 同胞から迫害されても、なおエレミヤは民への愛を失ってはいません。預言者は神の言葉を取り次がねばなりませんが、かつてモーセがそうであったように、民の1人として執り成すことも大切な務めです。神の言葉を受け入れない人の心の頑なさに、預言者は避けられない神の裁きを見て涙を流します。

 神は人ではないので涙を流すことはありません。しかし、預言者が涙を流すとき、それはまた神の御旨を表すしるしとなります。

 イエス・キリストは滅びに定められたエルサレムを見て涙を流されました(ルカ19章41節)。それは失われた子の帰りを待ちわびる父の思いを映します。神もまた涙を流すほどに世を愛されて、僕たちを通して御言葉を語り続けるのです。