2023年10月18日(水) イザヤ38章 神が共にいます時本当に生きる


命ある者、命ある者のみが、今日の、わたしのようにあなたに感謝し
父は子にあなたのまことを知らせるのです。(イザヤ38:19)

 ユダのヒゼキヤ王は死の病にかかり、今にも、というような状況になりました。彼は預言者イザヤを通して、神から遺言をするよう勧告されます。しかし、死を受け入れられないヒゼキヤ王は涙を流して大いに泣きながら、神に対して真剣に祈ります。祈りの内容は、信仰的に立派な内容ではありません。にもかかわらず神は、その祈りをお聞きになり、ヒゼキヤ王の寿命を15年延ばすと約束してくださいました。

 神の約束、また「日時計に落ちた影を、十度後戻りさせる」というしるし(8節)によって、死の病からの解放を実感したヒゼキヤ王の口からは、賛美の歌が溢れました。死の淵で真剣に祈った彼は、神に祈ることができたことに喜びを覚えました。「祈ることができた」ことに、主なる神が近くにいますという命の事実を見いだしたからです。神に祈ることこそが、ヒゼキヤ王が自身の命を実感するきっかけとなったのです。

 すべての人が真剣に祈れば寿命を延ばしていただける、というわけではありません。しかし、寿命こそ延ばされなくても「復活であり、命である」(ヨハ11章25節)キリストと結び合わされた人は、キリストと共に生きる命に生かされます。人は祈るとき、主が共におられる命を実感し、喜びに満たされるのです。

 【祈り】 主よ、わたしと共にいまし、生かしてくださることを感謝します。