2023年10月25日(水) 創世記24章 思慮を尽くして神に委ねる


僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。(創世記24:15)

 アブラハムは息子イサクを結婚させようと考え、息子にふさわしい相手を選ぶために、僕を遣わしました。

 僕は、ある町で、ふさわしい人を探し始めます。しかし、それは、町中を歩き回り、情報を集め、面談するような方法ではありませんでした。彼は、ふさわしい人を自分で探し回るのではなく、神が示してくださることを求めて、井戸の傍らで祈ったのです。まず、水をくみに来た娘に、彼が水を飲ませてください、と願ったときに、その娘がそのとおりにしてくれること。その上で、自分から、彼の連れていたらくだの群れにも水を飲ませてくれること。その条件を満たした場合、神が選んでくださった人であるとさせてください、と祈ったのです。

 私たちは、このように二重に条件を付けた上で、すべてお任せして祈ることに慣れていないかもしれません。しかし、この祈りには、彼の思慮深さがにじみでています。十頭のらくだに水を飲ませるのは楽なことではありません。彼は難しい条件を突き付けて神にクリアさせようというつもりではなく、主人の息子のために、自分から労をいとわず奉仕することのできる人を神に求め、そのための条件を挙げたのです。

 果たしてその祈りは御心に適うものでした。祈り終わる前に、まさにふさわしい娘がやってきたのです。

 【祈り】 わたしにも思慮を尽くして神に委ねる祈りをお与えください。