2005年3月27日(日)罪の放つ悪臭(詩編38:6)

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 今朝は旧約聖書詩編の第38編の言葉です。

 「負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます わたしが愚かな行いをしたからです」

 負わされた傷が膿んで悪臭を放っている姿はなんともむごい姿です。いったいどんな大怪我を負わされ、どれだけ長い期間放置されていたのかと思いたくなってしまいます。しかし、この詩編の作者が言っているのは肉に負わされた傷や病気のことではありません。犯した罪に苦しむ自分の姿をこう表現しているのです。

 旧約聖書の詩編にはこういった表現が数多く出てきます。ややもすると、罪を犯してバチが当たり、病気や怪我に苦しんでいるのではないかと浅はかな読み方をしてしまいがちです。しかし、そうなのではありません。罪を犯したという魂の痛みを、体全体で表現しているのです。

 そもそも、犯した罪をそこまでも重大に受けとめる詩編の作者の感性に驚きを覚えます。それは研ぎ澄まされた良心を持っているからこそできる受けとめ方です。

 自分が犯した罪に対して涼しい顔をし、罪の放つ悪臭に少しも気がつかないほど鈍感になってしまったとしたら、それはかなり深刻な事態です。そうなってしまわないためにも、魂の痛みと罪が放つ悪臭に対して敏感に反応できる研ぎ澄まされた心を持つことが大切です。

 それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。