2005年4月10日(日)鹿が水を求めるように(詩編42:2)

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 今朝は旧約聖書詩編の第42編の言葉です。

 「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める」

 谷川に水を求めて鹿がやって来る、そんな様子を絵に描くとしたら、あなたならそれをどんな絵に仕上げるでしょうか。木漏れ日にキラキラと輝くせせらぎから、美味しそうに水を飲んでいる鹿の姿でしょうか。それとも、すっかり干からびてしまった川底を恨めしそうに眺めている鹿の姿でしょうか。

 やさしい自然の姿になじんできた日本人のわたしには、どうしても清らかな流れの水をごくごくと飲んでいる鹿の姿を思い浮かべてしまいます。

 しかし、この詩編が歌っているのは、求めても求めても水を得ることができない、渇ききった鹿の姿です。いえ、そういう鹿の姿になぞらえた自分の魂の深い渇きです。

 どうして、この詩編の作者はそんなに魂が渇ききっているのでしょうか。それは、神を信じない者たちの国に幽閉されて、かつてのように自由に神を礼拝できない状況にあるからです。おまけに周囲の人々からは「お前の神はどこにいる」と意地悪な質問攻めにあっているのです。

 けれども、この詩編の作者は他の何かでこの渇きを癒そうと妥協はしません。まことの神だけがこの魂の渇きを癒してくださることを知っているからです。

 それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。