2006年9月17日(日)わたしを知っているお方(詩編139:1)

おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第139編1節の言葉です。

「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。」

神によって知られているということは、鬱陶しいことなのでしょうか。確かに、もし神が単なる好奇心からわたしの行動を根掘り葉掘り知ろうとされるのだとすれば、わたしの心は一時も休まることはないでしょう。
しかし、この詩編の作者は、神によって知られているということを、この上ない喜びとさえ感じているのです。それはなぜでしょうか。なぜなら、神は人の一部ではなく、すべてを極め尽くしていらっしゃるからです。裏も表も、強さも弱さもすべてをご存知だからです。
人間はどんなに努力しても相手の一部しか知ることはできません。ありのままに見るといっても、ありのままの一部を見ているに過ぎないのです。一部しか見ていないのですから相手を誤解することもあります。相手に失望を感じることもあります。
しかし、神がわたしを知るときには完全です。文字通りありのままを知っていてくださるのです。すべてをご存知である神の前には、どんな隠し事も通用しません。そうであるからこそ、取り繕う必要がないのです。神はわたしのすべてをご存知であられるからこそ、わたしにもっとも必要なものを与えてくださるのです。

それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。