2007年11月11日(日)人の生涯は草のよう(詩編103:15-16)

おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第103編15節16節の言葉です。

「人の生涯は草のよう。 野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消えうせ 生えていた所を知る者もなくなる」

人間の平均寿命が延びたとはいえ、それでも一世紀以上も生き延びる人の数はそう多くはありません。まして日本以外の国々に目を向けると、もっと人生は短く、瞬く間に終わってしまうものです。人の一生がはかないものであるというのは、多くの人がふとした時に感じるものです。
旧約聖書のコヘレトの言葉は「なんという空しさ、すべては空しい」と嘆きます(1:2)。平家物語の冒頭には「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」と記されます。
きょうの詩編の言葉には人は草のようだと言われています。熱風がその上に吹けば、あっというまに枯れてしまうような草です。しかも、草と同じようにその存在さえも覚えられたりはしないのです。

しかし、この詩編の作者は、だから生きる意味が無いとはいいません。それどころかこんなにも短くはかない人生にも、神の憐みが注がれ、神の慈しみが伴う幸いを歌い上げているのです。聖書の神と共に歩むとき、この短い生涯も祝福に満ちたものになるのです。

それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。