2008年4月6日(日)貧しさの幸い(マタイ5:3)

おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
イエス・キリストはこんなことをおっしゃいました。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)

ヘブライ語の「貧しい」という言葉は、本来の意味から発展して、「柔和な」「信仰深い」というニュアンスをもつようになった言葉です。この場合の貧しさとは怠惰の結果もたらされた貧しさとは違います。働いても働いても搾取されたり、本人の責任ではない災難によってもたらされる貧しさです。そういう境遇にある人は人生について深く思いをめぐらせるようになって、ついには神だけが自分の拠り所であることを見出す人です。
ですから、ヘブライ語の「貧しい」という言葉には「柔和で信仰深い」というニュアンスが生まれてきたのです。
イエス・キリストがおっしゃる「心の貧しい人」とはまさにそういう人を言っているのです。深い苦しみの中で、天の父なる神だけに望みを置いて生きる人です。困っている人に対して柔和で優しくなれる人です。

お金持ちであることは必ずしも悪いことではありません。しかし、富を得ることで、心の中から神がいなくなり、隣人に対する愛も配慮も二の次になってしまったとしたら、それは本当の人間らしい生き方ではないのです。
神だけを頼りとし、神と人とを愛する者こそ、幸いなのです。
それではきょうもあなたの上に主イエス・キリストの恵みが豊かにありますように。