ご機嫌いかがですか。勝田台教会牧師の安田恵嗣です。
今日も、はじめに聖書の御言葉を読みます。新約聖書のコリントの信徒への手紙二第4章7節です。
「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」。
わたしは土の器です、という表現は、多くのキリスト者が口にする言葉です。謙遜を意味する言葉となっているようです。しかし、この手紙を書きましたパウロも単なる謙遜の思いで、そのように言ったのでしょうか。土の器は壊れやすく、滅びやすいものです。人間を土の器にたとえることは、死すべきものという意味であると思います。だからこそ、10節で「死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」わたしは生き続けていると述べています。私たちは日々、肉体も心さえも壊れてしまいそうになる脆さを味わっています。ただ、表面だけの謙遜さを身に帯びているのではありません。しかしながら、この脆く壊れやすい器が偉大な神の力を発揮しているのです。並外れて偉大な力が働いているので、パウロは、これはわたしたちから出たものではない、と断らなければなりませんでした。何と私たちは神の恵みによって恵まれていることでしょうか。
あなたも土の器かもしれませんが、主イエス・キリストにあって力ある歩みへと招かれています。