いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。
イエス様のたとえ話に、「ぶどう園と農夫のたとえ」があります。それはこんな内容です。
「主人が農夫にぶどう園を貸して旅立った。収穫の時になって、主人は収穫を受け取ろうとして僕を何度も遣わしたが、農夫は拒否し、僕たちを殺し、遂には主人のひとり子さえも殺してしまった。」
これはイエス様が死の数日前に、自分を捕らえようとする敵対者たちの罪を明るみに出すために語られたものです。しかし同時にこの話は、時代を超えて、すべての人間に当てはまる現実をも物語っています。それはここに登場する農夫のように、人間はしばしば自分の人生に主人がいることを忘れてしまう点です。ちょうど小説家がいてはじめて主人公が存在するように、神は私たちの造り主であり、各自の人生に必要な一切を備えて生かしてくださるのです。その最も大切なお方を否定し、勝手気ままに生きるとはなんと愚かなことでしょう。ここに一切の誤ちの土台があります。実際このたとえ話を聞いた敵対者たちは、自分たちに当て付けられたと気付いた時、悔い改めるどころか、イエス様を殺すために動き出しました。その事によってこのたとえ話を、ますます成就させてしまったのです。私たちは神の言葉を素直に信じ、受け入れる者でありたいものです。