聖書を開こう 2004年8月19日(木)放送    聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: パウロ、シルワノ、テモテから(1テサロニケ1:1)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいたいと思います。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 今週から新しい聖書の個所に入りたいと思います。それは新約聖書に収められた文書の中で一番早い時代に書かれたテサロニケの信徒への手紙の一です。この手紙は新約聖書の中で一番古くに書かれたというばかりではなく、現存するキリスト教文書の中でも一番古い文書として知られている文書です。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書テサロニケの信徒への手紙一 1章1節です。新共同訳聖書でお読みいたします。

 「パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

 冒頭でも、申し上げましたが、テサロニケの信徒への手紙の一は、現存するキリスト教の文書の中で、一番古いものであるといわれています。最古のものと言えば、それだけで歴史的な価値がもっとも大きなものであるはずですが、パウロが書いた手紙の中では、それほど重要な文書として取り上げられてきたことがあまりありませんでした。
 例えば、ローマの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙は、宗教改革の原理ともなる「信仰義認」の教え、「律法の行いではなく、信仰によってのみ救われる」とする教えを導き出すために大いに用いられて来ました。その後も偉大な神学者や聖書学者たちは、こぞってローマの信徒への手紙を研究して来ました。
 あるいは、コリントの信徒への手紙は、様々なテーマを扱っているために、研究の対象としてたくさんの関心が寄せられて来ました。
 しかし、そうした手紙に比べると、テサロニケの信徒への手紙は、分量的にも短く、また、内容的にも現代の教会や神学的な論争に関わる分部があまりにも少ないために、それほど大きな関心の対象となったことがない手紙でした。それはある意味で仕方のないことかもしれません。後に生きる時代の者たちにとっては、自分たちに一番関わりのある問題こそ、率先して聖書の中から学びたいと願うものだからです。
 けれども、最初にこの手紙を読んだテサロニケの教会の人たちにとっては、この手紙はそれだけで価値のあるものだったことは間違いありません。もちろん、他にパウロの手紙がなかったのですから、読み比べて見るということも出来なかったわけです。いえ、読み比べるような何もなかったからこそ、初めてこの手紙を手にしたテサロニケの教会の人たちには、この手紙から励ましや慰めを数多く受けることが出来たのだと思います。その感動を学びたいと思います。

 さて、簡単ですが、手紙の本文の学びに入る前に、簡単にテサロニケの教会について聖書から見てみたいと思います。
 パウロがテサロニケに伝道したのは第2回の伝道旅行の時でした。使徒言行録の記事によれば、この2回目の伝道旅行の中で一番特筆すべきことは、福音が海を渡ってヨーロッパの世界に足を踏み入れたということです。最初にマケドニア州のフィリピの町に伝えられ、アンフィポリス、アポロニアを経てマケドニア州の州都テサロニケへと広がりを見せたのでした。
 テサロニケでの伝道の様子と、またテサロニケの町を出ざるを得なくなったことの次第については使徒言行録の17章に詳しく記されています。もっとも、使徒言行録が書かれたのは、テサロニケの信徒への手紙が書かれるよりもずっと後のことですから、リアルタイムで記されている手紙の方がずっと生々しく、また新鮮にテサロニケの教会とパウロの様子を伝えています。
 この手紙の1章9節によれば、テサロニケの教会員はそのほとんどが異邦人だったのかもしれません。彼らが福音を聖霊の喜びをもって受け入れ、偶像から真の神に立ち帰った様子はマケドニア州にも隣りのアカイア州にも響き渡っているほどです。しかし、活き活きとした信仰に支えられながら信仰の歩みを続けているとはいえ、同胞からの迫害に遭って苦しんでいる様子も記されていますから(2:14)、キリストへの信仰を維持していくことは、決して楽なことではなかったことでしょう。
 パウロはこの教会のもとへ何度か戻ろうと願っていましたが、なかなか行く機会が与えられなかったことも、この手紙には記されています(2:18)。代わりにテモテを派遣して、テサロニケの教会の様子を今まさにテモテの口から聞いて喜びに満たされている様子も活き活きとこの手紙には記されています(3:6)。とにかく、この教会に宛てたパウロの手紙を読む限り、パウロとテサロニケの教会の関係はきわめて良好であり、お互いに励まし、励まされあう関係であることが伺われます。

 さて、手紙の書き出しに目を移してみると、そこには手紙の形式にそって、差出人、受取人、そして挨拶の言葉が述べられています。どんな手紙でもそうかもしれませんが、差出人や受取人が誰であるかは、一旦手紙を受け取ってしまえば、それほど重要ではなくなってしまいます。たとえば、わたしの事務所にはわたし宛の手紙がたくさん来ます。先ず最初に確かめるのは誰からの手紙であるかを見ます。ほとんどの手紙は差出人を見れば、それがわたしに宛てられたものかどうかすぐに判断できますし、また、内容もだいたい見当がつきます。しかし、時々他の事務所宛のものが紛れ込んでいたりすると、差出人を見た段階で、宛名を確かめなくても誤配に気がつくものです。宛名を見てやはり誤配であったことが確認されます。手紙の差出人や受取人を気にするのは手紙を受け取る時だけのことです。
 しかし、普通はあまり関心が払われない手紙の冒頭部分を改めて眺めてみると、いろいろと興味をそそられることが出てきます。
 差出人について言えば、3人の名前が上がっています。パウロ、シルワノ、テモテ。シルワノは他の聖書の個所ではシラスとも呼ばれている人です。もちろん、手紙を読み進めていくと、主に手紙を書いているのはパウロであることがわかりますが、しかし、差出人は紛れもなくこの3人なのです。何故この3人なのかと考えてみると、この3人こそテサロニケの伝道に深いかかわりをもった人物だからでしょう。言い換えるならば、テサロニケでの福音宣教の働きは、パウロ一人のものでもなければ、シルワノやテモテだけのものでもないのです。パウロはこの手紙を書くに当たって、それを個人の手紙としてではなく、福音宣教を委ねられた者として共同の責任を負うものとして差し出そうとしているのです。
 しかし、パウロは福音宣教を委ねられた者として、「使徒」という称号ここでは用いていません。他のどの手紙にも自分を使徒として紹介していますが、この手紙ではその称号を用いませんでした。もちろん、テサロニケの人たちにはパウロが使徒であることはわかりきったことであります。しかし、パウロは使徒としての称号をあえて用いないで、むしろ、手紙の本分の中では自分を母親のように、また父親のように紹介しています(2:7、2:11)。こうした人々の手によって書かれた手紙であるからこそ、その一つ一つの言葉に重みがあり、慰めと励ましとがあるのではないでしょうか。これからの学びを通して、テサロニケの教会の人々とともにその恵みに与っていきたいと思います。

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