キリストへの時間 2005年1月2日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

宮武輝彦(芸陽教会牧師)

宮武 輝彦(芸陽教会牧師)

メッセージ: 「心を静めて、み言葉に聞こう」

 あけましておめでとうございます。安芸の芸陽教会牧師、宮武輝彦です。今年も皆様とご一緒に、神とキリストのみ言葉に耳を傾けていきたいと心から願っています。

 昔、サムエルという少年がユダヤの地方に住んでいました。この少年サムエルはある夜、「サムエルよ、サムエルよ」と自分を呼ぶ声を聞きました。そして一緒に住んでいた年長のエリのところに行って、「お呼びになったので参りました」と言いました。すると、エリは「わたしは呼ばない、帰っておやすみ」と言いました。不思議なことに、二度このようなことがあり、三度目にサムエルが呼ばれたときに、エリは、「それはきっと、主が呼んでおられるのだ」と言い、今度呼ばれたら、「主よ、僕は聞きます。どうぞお話ください」と言いなさい、とサムエルに言いつけて返しました。すると、また、少年サムエルを呼ぶ声がしました。「サムエルよ、サムエルよ、」。今度は、少年サムエルは、エリに言われたとおり、「主よ、僕は聞いております。お話しください」と言うと、主なる神はサムエルにだけ大切な言葉を告げてくださったのです。

 イエス・キリストがその愛する二人の姉妹マルタとマリヤの家をたずねたときです。マルタはとてもせわしく立ち働いてもてなしの用意をしていました。しかし、マリアの方は、イエスさまの足もとに座って、その話に聞き入っていたのです。これを見たマルタはとても気持ちをいらだてて、イエスさまに向かって「マリアにも手伝わせてください。」と言ってしまったのです。このとき、イエスさまは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである。マリヤは良い方を選んだ。マリヤからそれを取り去ってはならない。」と言われたのです。マリヤはただイエスさまの語られるみ言葉に耳を傾けたのでした。もちろん、もてなしの用意も大事ですが、神様の救いの言葉を聞く機会を得ることはそれにはるかにまさる大きな事なのです。

 聖書の詩編にはこのようなこころの静けさを物語るみ言葉を多く聞くことができます。「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう」と言われ、神に向かうときの心のあり様が語られます。また、「わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし、わたしの心を夜ごと諭してくださいます。わたしの心は喜び、たましいはおどります」とも歌われ、まことの神がわたしたちのこころに語りかけてくださるとき、必要な導きが与えられるのです。そして、その心が変えられてまことの神を呼ぶようになることが物語られています。まことの神は、今、わたしたちに聖書によって、大切なことの一つ一つを語りかけてくださっています。イエス・キリストは四十日四十夜悪魔の試みにあわれた時、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」との聖書の言葉によって、その誘惑を退けられました。それは、人間が生きるとき、決して、食べていれば生きられるのではなく、かえって、神の言葉によって生かされていくことが大切なことを教えられます。「あなたのみ言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みをてらすともしびです」との聖書の教えのとおり、今年も、日々、神の言葉に聞くことを大切にしていきましょう。そのために、心と魂を沈めて、「主よ、み言葉のとおりに命を得させてください」と祈り求めていきましょう。そして、ただひとつの「命の道」へと共に導かれていきましょう。

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