キリストへの時間 2005年7月31日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山脇栄子

山脇栄子(清和女子中高等学校教頭)

メッセージ: 「野の花(ゆり)を見なさい」

 おはようございます。清和女子高校の山脇です。

 今朝はマタイによる福音書6章28節。

 「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」と聖書の中には自然界の事がらについて書かれているところがあります。特に、野の花と書かれているのは、ゆりの花を連想します。

 讃美歌の中にもゆりの花を歌ったものもあります。清和女子高校の校章もゆりの花が鏡をかたちどった中に描かれています。鏡の中に自分自身を写し出して、よく吟味し、イエス・キリストの生き方に従っていけるようにと、考案されたこの校章は、吉田元教頭が生徒であった時に美術の時間に描かれた作品であるとお聞きしています。

 私達は夏に咲く、この清らかなゆりの花を見ていると、誰がどんなすばらしい着物を着ても、この花の前には言うことのできない美しさがあることがよくわかります。神様が空の鳥や野の花をこのように愛していて下さることもよくわかります。人が住みやすいように全ての事がらを整えて準備して下さったのに、人の心は弱く、欲が深く、神様から与えられた物では満足できなくなってしまっている。現在の自分に気づき、時々は自然の中に立ち、神様の豊かな恵みを感謝することの大切さを痛感しています。

 ある時に外国人による日本語のスピーチをテレビで見る機会がありました。モンゴルから日本に来て2年半位の中学三年生のスピーチは、「豊かさとは、物を大切にすること」という内容です。モンゴルでは自然の中で生活をしているので、鉛筆や紙などとても大切に使用しているし自分が使って必要なくなった物は、妹や弟、またはそれを必要としている人々に譲っていって、一つの物をとても大切にしています。しかし、日本の子供達は、鉛筆一本にしても、色がきれいだからとか飾りがついているからだとか言って買い求める姿をよく見かけますが、本当にその鉛筆が必要であるから買っているのではないので、少ししたらすぐに嫌になり、放り出す場面を見て、心を痛めました。本当の豊かさとは、物を大切に、友達や周囲の人々との交わりを大切にすることではないだろうか、というスピーチでした。本当にそう思いますね。

 物が豊かになり、便利になれば、今自分のおかれているところも満足しなくなり、不満がいっぱいになることでしょう。そのために、期日の過ぎた卵や問題の多い肉やブランド物のバッグや靴など人の欲望を満たすために、次々とごまかしの生活をするようになり、真実の物がわからなくなってきています。

 私の家族は魚料理は、塩焼きに限ると言って、煮たり、フライにするのを好みません。それは魚本来の味がわからなくなるからという理由からです。料理をする側は、塩焼きの方が簡単で楽ですが、しかし、魚本来の姿と新鮮さが欲求されますので、本当の贅沢かもわかりませんね。神様は私達に自然を与えて下さって、その一つ一つに生命を与え、それら一つ一つの美しい姿を人間に見せることによって、自分たちの生命を神様から与えられている。恵みに感謝することを教えて下さっているのです。そして、全てを支配しているのは神様であることを、明日のことを思いわずらわないで、全てを神様にまかせて過しなさい。野の花や鳥を見なさい。それ以上に神様は私達のことを見ていて下さるのです。「明日のことを思い悩まないで、まず、神の国と義を求めなさい、そうすれば必要な物は、神様が全て与えて下さる」と聖書には書いてあります。神様に全てをまかせ、鏡に写る自分の姿がゆりの花のごとく、神様の目から見て良しとされる姿でありたいものです。

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