BOX190 2006年1月4日放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「自分の計画と主の御心の関係は」 神奈川県 M・Mさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのM・Mさん方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、番組をいつも感謝して聴いています。

 さて、早速ですが、先生に質問したいことがあります。 わたしは『自分が弱い人間だ』と自分の弱さをいつも感じています。こう書くといかにも悟りを開いたような人間に思われるかもしれませんが、そんなに高尚なことではありません。いつも計画倒れで、自分を不甲斐なく思っています。例えば今年は聖書を毎日読もうと思っても、いつのまにか挫折してしまっています。せめて人の悪口は言うまいと決心しても、つい他人のことで愚痴をこぼしたり、ほんとうにこんなことすら守れない情けない自分です。

 聖書には『人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。』(箴言19:21)とあるのですから、できないことは主のみ心ではないからだ、ということでしょうか。またヤコブはその手紙の中で「『今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです」と書いています。明日の身のことさえ分からない人間が、自分の計画を立てるなど不遜なことということでしょうか。自分の計画など立てなくてもいい、むしろ立てるべきではないと言ってもらえた方が気が楽なくらいです。

 計画を立てて人生を向上させたいと願っているわたしに適切なアドバイスをください。よろしくお願いします。」

 M・Mさん、お便りありがとうございました。丁度新しい年を迎えて、この番組を聴いて下さっている方の中にも新しい年の抱負や計画を立てていらっしゃる方も多いのではないかと思います。新年最初のきょうの番組でM・Mさんのご質問を取り上げることができてとても嬉しく思います。

 さて、M・Mさんご自身がすでにお気づきになっていらっしゃると思いますが、引用してくださった箴言の言葉やヤコブの手紙の言葉は、決して人間が何か計画を立てることは意味がないとか、無駄だといっているのではありません。そういう意味で、ここに引用した聖書の言葉から、M・Mさんが期待しているような結論…人間は計画など立てるべきではないという結論を引き出してくることは残念ながらできないのです。

 先ずはじめに、引用してくださったのは箴言の19章21節ですが、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」というのは、ネガティブな意味でこの言葉を理解する必要はありません。確かにM・Mさんがおっしゃるように、できなかったことは主のみ心ではなかったと言ってしまえば、気が楽かもしれません。しかし、自分の怠惰さや計画の甘さをも主の御心のせいにしてしまうのであれば、それは間違った聖書の解釈です。この箴言が言おうとしていることは、一つには主のみ心を軽んじて、自分の計画を絶対視してしまう人間の傲慢さの指摘です。この箴言は、何でも人間が計画したことが全部実現できると思い込む人間の思い上がりを戒めています。そうではなく神の御心だけが実現するということなのです。もう一つには、今起っていることを神の御心と信じてそこに積極的な意図を見出そうとするポジティブな視点も教えています。せっかくの人間の計画が神のみ心によってほしいままに変更されてしまったと見るのではなく、自分の思いとははるかに異なった神のご計画が実現したと信仰の目によって物事を捉えるポジティブな人生観です。

 また同じ箴言にはこういう言葉もあります。

 「あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ」(箴言16:3)

 人間の立てる計画が無駄などころか、神の御旨に委ねる時にこそ、それはしっかりと立つのです。

 そもそも計画がうまくいかないことの最大の原因は、自分の力や能力以上のことを計画だてていることです。毎日聖書を読むことは大切なことです。しかし、一日に何十ページも読む計画は最初から自分の能力と体力を超えているかもしれません。わかっても分からなくても聖書を最初から最後まで読むことが、必ずしも聖書を読むよい方法とは限りません。もっと現実的な実現可能な計画を思慮深く立てるべきなのです。

 しかし、それでも、その計画は思いがけないところで妨害が入ることだってあるのです。ですから、人間の計画をいくら綿密に立てたとしても、それでも、人が計らうことを固く立たせてくださる神の助けを謙虚に求める必要があるのです。この箴言はこのことを教えてくれているのです。

 M・Mさんが引用してくださったヤコブの手紙も同じようなことを言っています。ヤコブが批判しているのは計画を立てること、それ自体ではありません。人が計らうことを固く立たせてくださる神の助けをあたかも不必要なことのように考えてしまう人間の高慢さをこそ、ヤコブは批判しているのです。「そのような誇りはすべて、悪いことです」とヤコブは言っています(ヤコブ4:16)。そうであるからこそ謙虚な気持ちになって「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきなのです(ヤコブ4:15)

 ですから、神のご計画があるから、人間の計画は無駄になってしまうのではありません。そうではなく、かえって神の計画が人間の計画を確かなものにし、人間の物事を計画するモチベーションを高めるのです。そして、何よりも人間を謙遜な思いにさせ、その計画について、神の助けを求める思いを募らせるのです。

 聖書は人間が立てる計画を意味のないこととは決して言ってはいません。むしろ思慮深くそれを立てるべきなのです。計画が実行できなかったことをすべて神の御心ではなかったと決め付けることは、自分の計画の甘さを神のせいにしているに過ぎません。

 せっかくの年のはじめですから、自分の力に見合った計画を綿密に立てましょう。その上で限りある自分の力や存在を神の御手に委ねる謙虚な姿勢を絶えず持ちつづけましょう。そして、自分の計画したことが、本当に神のみ心と一致しているか、いつでも神のみ心と照らし合わせる熱心な思いを持ちつづけましょう。そうすれば、そんなに簡単に計画倒に終わることはないでしょう。また、それが実現できなかったとしても、自分で納得できる原因を見つけ出して、次の計画を立てるときに役立てることができるはずです。

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