BOX190 2006年5月3日(水)放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「信仰と癒しについて」H・Aさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は大阪府にお住まいのH・Aさん、男性の方からのご質問です。長いお便りですが全文をご紹介します。

 「山下先生、いつもあすへの窓を聴いています。信仰の悩みなど参考になります。

 わたしは今67歳の信仰暦32歳のクリスチャンです。しかし、苦しいことばかりでした。今も苦しいです。27歳に発病してから不眠と躁鬱病のために12回も精神病院に入院し、イエス様を信じてから10回精神病院に入院しました。

 幸い大会社に勤めていたので、60歳まで会社におられましたが、仕事もうまくできませんでした。32年間什一献金もし、ローマ人への手紙12章1節にあるようにわたしの命を神に捧げているのに、睡眠薬や精神安定剤を飲んでも夜が眠れず、全く眠れない日もあります。夜さえ眠れたら問題ないのですが、それがかなえられません。

 聖書イザヤ書29章10節に「主はあなた方の上に深い眠りの霊を注ぎ…」とあり、眠りは神様から来るしるしとされています。また、詩篇4篇8節に「平安のうちにわたしは身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ、あなただけがわたしを安らかに住まわせてくださいます」とある、眠りは主イエス・キリストさまから来ると記されています。

 また、牧師に手を置いて癒しの祈りをしてもらっても夜に眠れません。さらに、ヤコブの手紙5章14節にあるようにオリーブ油を注いで祈ってもらっても癒されません。

 寝る時、主イエス様に祈ってから寝るのですが、3時間くらいしか眠れずに苦しんでいます。御言葉に「キリストの打ち傷によりあなたがたは癒されたのです」とありますが、わたしにはそれがなされません。クリスチャンでも精神病に苦しんでいるとお聞きしますが、信仰と癒しについてご意見をいただければ幸いです」

 H・Aさん、お便りありがとうございました。お便りを通して、長い間眠ることができない苦しい夜を過ごしていらっしゃるご様子を知ることができました。わたし自身、若かった頃、心配事や悩み事で夜も眠れない経験をしたことがありましたが、それは、今から振り返ってみればほんのひと時のことでした。H・Aさんのようにずっと長い間そういう状態が続いたというわけではありませんから、H・Aさんのその苦しいお気持ちを察しきることはできていないかもしれません。きっとこの番組を聴いていらっしゃる方の中には、H・Aさんと同じような不眠に悩んでいらっしゃる方も大勢いらっしゃることと思います。そして、その方たちには、H・Aさんの苦しさが痛いほどわかっていらっしゃるのではないかと思います。

 さて、H・Aさんのお便りをお読みしていて、丁度先週取上げた祈りについての話を思い出しました。そのとき、パウロのことを引き合いに出しましたが、パウロにはサタンから送られたとげがあったということでした。そのとげが何であるのか、パウロは具体的に書いていませんので分かりませんが、少なくとも、パウロにとってはどうしても取り去って欲しいとげであったことには間違いありません。そして、少なくとも、主からの答えをいただくまでは、パウロはこのとげのために平安な気持ちでいることはできなかったことでしょう。ひょっとしたら、このとげのことが気になって夜もろくに眠れなかったこともあったかもしれません。もちろん、パウロ自身が書いているように、パウロは「苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(2コリント11:27)。それらは一時的なものであったかもしれません。しかし、サタンから送られてきたとげだけは、パウロから取り去られることはなかったのです。

 もし、信仰さえあれば、どんな病も、どんな苦しみや悩みも解決されるのだとすれば、祈ってもサタンからのとげを取り去って頂くことができなかったパウロには信仰がないということになってしまうでしょう。しかし、そうではなかったのです。先週もお話しましたが、パウロにはこの祈りが自分の思った通りに聞き上げられないとしても、神様の愛を確信することができたのです。

 「主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(2コリント12:9-10)

 このようにパウロは自分に与えられているとげのもっているマイナスを神からのプラスと信仰で受け止めたのです。

 たしかに、わたしたちは自分が持っているマイナス面に悩み、苦しむことの多いものです。しかし、このわたしに注がれている神様の愛の大きさは、わたしのマイナス面によってすっかり失われてしまうどころか、神の愛の大きさはそれをはるかに上回っているのです。どうぞ、癒されないことを自分の信仰が足りないためだと思わないでください。

 最後に、『病者の祈り』という詩をお届けしたいと思います。この詩にはわたしたちの祈りを、わたしたちの思いをはるかに超えて聞き上げてくださる神様の愛が歌われています。

 病者の祈り

大事をなそうとして
 力を与えて欲しいと神に求めたのに
つつしみ深く従順であるようにと
 弱さを授かった

より偉大なことが出来るように
 健康を求めたのに
より良きことが出来るようにと
 病弱を与えられた

幸せになろうとして
 富を求めたのに
賢明であるようにと
 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
 権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
 弱さを授かった

人生を享楽しようと
 あらゆる物を求めたのに
あらゆる物を喜べるようにと
 命を授かった

求めたものは
 一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞きとどけられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
 心の中の言い表せない祈りは
  すべてかなえられた

わたしはあらゆる人の中で
 最も豊かに祝福されたのだ

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