キリストへの時間 2006年1月29日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「なるようになる?」

 おはようございます。山下正雄です。

 昔、解散間際のビートルズのヒット曲に「レット・イット・ビー」という歌がありました。ちょうどわたしが中学生になったばかりの頃に流行った歌です。その歌のタイトル「レット・イット・ビー」というのは、「なるようになるさ」とふつう日本語に訳されています。

 確かにどんなに思い悩んだからといって、人は自分の寿命をわずかでも延ばすことはできません。明日のことさえわからないわたしたち人間が、先々のことまで心配してもどうしようもないことはたくさんあります。それで、人は「結局はなるようにしかならない」と考えて、適当なところで悩みつづけることをやめにしてしまいます。それはある意味でこの世の賢い知恵であると思います。

 聖書の世界でも悩み続けることの無意味さを同じように教えています。しかし、そうはいっても、それはただの諦めを勧める言葉では決してありません。悩み続けることにあまり意味がないのは、確かに、一つには未来に対する人間の知識には限りがあるからです。将来のすべてを知って生きている人など誰もいません。わからないままで生きている、それが人間です。しかし、聖書の世界では、それだから諦めるということはないのです。なるようにしかならないとは思っても、それはあくまでも人間の話です。

 聖書の世界では、悩みつづけることをやめることは、諦めることではなく、神に将来を委ねることです。

 ペトロの手紙一の5章7節にはこう書いてあります。

 「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

 これはすべてを諦めて、なるようにしかならない流れに身を任せるのとは違った生き方です。すべてをご存知で、すべてを導いておられる神に、すべてを委ねることなのです。すべてに最善をつくされ、すべてを愛で覆ってくださるお方が、すべてのことを益となるように導いていてくださっていることを信じる生き方です。何も知らない人間のわたしが思い悩む以上に、すべてをご存知の神が、わたしを心に留めてくださっているのです。そう信じて神に自分自身の悩みを明渡す生き方なのです。

 新約聖書の中の手紙をほとんどしたためたパウロも、その手紙の中でこう言っています。

 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」フィリピの信徒への手紙4章6節7節の言葉です。

 神にすべてを明渡すことができたとき、人はもはや悩みに打ち負かされることもなく、ただ諦めるだけでもない歩みをなすことができるのです。なぜなら神の安らぎが心のうちに注がれるからです。

 もっとも、悩みを神に委ねる生き方とは、どんな努力も向上心も捨てて生きることとも違います。どんな努力も向上心も捨てて生きること、それは結局はなるようにしかならないと諦める生き方と同じです。

 聖書の神は、わたしたち人間が与えられた使命の中で精一杯生きることを望んでいらっしゃいます。与えられたすべての才能を活かすことを望んでいらっしゃいます。しかし、それ以上のことで悩む必要は少しもないのです。人間の能力を超えた悩みは、すべて神に委ねることができるのです。

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