熊田なみ子のほほえみトーク 2007年9月11日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

あなたとわたしの生きてる時間 この奇妙なものは何か?

 人生の先輩の方々を敬うことを思う9月に、面白いトルストイのお話に出会いました。以前読んだはずの文庫なのに読み落としていたのです。きっかけは、「読書から始まる」(長田弘著・NHK出版)を読んでいる時に、著者が民話のことをとても大切に書いておられたからでした。岩波文庫(赤-619-2)を早速開き読んでみました。この本には、「イワンのばか」他8編が入っています。

 そういえばこんなことがありました。娘が幼い頃、寝る前にいつも絵本を読んでいました。ある時、「イワンのバカ」を読み始めて、止まらなくなったことがあります。スヤスヤ寝ている娘のベッドの傍でひとり声に出して読み続け、ついに最後まで。なんとこの作品はすごいのか!と感動しました。「人にはどれほどの土地がいるか」も有名ですし、「作男エメリヤンとから太鼓」は、紙芝居にもなっていて我が家にあります。原作を少しアレンジしてはありますが・・・。
「くつやのマルチン」は、脚本を書き、クリスマスに教会学校で劇をしたこともありましたね。あなたもたくさん知っていますか?
 こんなふうに以前から幾つかのトルストイ民話には親しんで来たのですが、今日ご紹介するこの短いお話は、もったいないことに読んでいなかったというわけです。たった6ページきりない小さなお話。「鶏の卵ほどの穀物」です。

 ある時、王様は子供が拾ってきた「鶏の卵のような奇妙なものは一体何か」を知りたくて、杖を2本つき、青い顔をした歯が1本もなく、耳も良く聞こえない、うんとお年寄りに聞きますが、全くわかりません。その人は、「自分の父親に聞けばわかるかもしれない」と言います。その父親を呼ぶと、杖は1本きり。目がまだ見えて、耳もそう遠くなかったのです。でもわかりませんでした。そして、またまた、「自分の父親に聞けばわかるかもしれない」と。そこで、そのまた父親を呼ぶと、なんと杖を使わず、らくらくと歩き、目も耳も不自由がない。年をとればとるほどますます元気で生きているのです。
 父親は言います。「覚えています。昔は、この穀物をたくさん作り、皆食べていました。」王様は聞きます。「今はどうしてこの穀物はないのか?孫は杖を2本、息子は杖を1本ついて歩くのに、お前はどうして杖を使わずにらくらくと歩き、目ははっきり見えるし、歯は丈夫だし、言葉もてきぱきして、愛想が良い、それはいったいどういうことか?」
 その理由は、人が自分で働いて暮らすことをやめてしまい、他人のことばかりを羨ましがるようになったからということ。昔は神様のみ心どおりに暮らして、自分の持つもので満足していたと。作者のトルストイは、1828-1910年に生きた人ですが、なんと今の私たちの暮らしを言い当てていることでしょう。罪深い人間の生き方は、自分をどんどん怠惰にしていくのですね。

 イザヤ書40:30-31に「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は、新たなる力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」とあります。」

 年を重ねることは、マイナスだけなのでしょうか?
 あなたの今日の一歩、それがどこに向かっているのか、本当に確かな希望に向かっているならば、年を重ねることは嬉しい喜びとなりますね。私たちの今日の一歩は、天国へのドアに近づく一歩なのです。イエスキリストの救いをいただいて生きる新たな力に満たされる今日の一歩をあなたも始めませんか?(くまだなみこ)

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