あさのことば 2008年4月21日(月)放送     あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

村田寿和(羽生栄光教会牧師)

村田寿和(羽生栄光教会牧師)

メッセージ: すべての人の希望

 ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
 聖書は神さまこそが希望の源であり、イエス・キリストこそ私たちの希望であると教えています。
なぜでしょうか。それは神さまこそが、いのちの源であり、イエス・キリストこそが死からよみがえられたお方であるからです。聖書の教える希望はいのちと深く結びついています。それゆえ、希望はしばしば永遠の命を表すのです。
 旧約聖書にコヘレトの言葉という書物がありますが、そこでは次のように記されています。

「なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。」

 このコヘレトの言葉は、現代の私たちも共感できるのではないでしょうか。しかも、コヘレトは神さまを信じながら、この空しさを告白しているのです。ですから、コヘレトはその最後にこう記すのです。

「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。神は善をも悪をも/一切の業を、隠れたこともすべて/裁きの座に引き出されるであろう。」

 このように結論したコヘレトが、イエス・キリストがよみがえられたという福音を聞いたら、どれほど喜んだことかと思います。
 なぜなら、イエス・キリストがよみがえられたことは、神さまがイエスさまを正しいお方として認められたことを表しているからです。イエスさまお一人だけではありません。イエスさまを救い主と信じるすべてのものが、正しい者と認められ、やがて復活するのです。ですから、イエス・キリストこそ、すべての人の希望なのです。

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