キリストへの時間 2008年4月6日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

泥谷ちひろ(山田教会会員)

泥谷ちひろ(山田教会会員)

メッセージ: 一つの部分が苦しめば

 おはようございます。いかがお過ごしでいらっしゃいますか。山田教会の泥谷ちひろです。

 皆様の中で引越しの経験をされた方がおられるでしょうか。私は神戸で生まれ育ちましたが、27歳になるまでは引越しの経験がなく、住んでいたところの近所の人が引越したり、引越して来られるのをうらやましく思い、私んちもどこかに引越したいなと思ったことさえありました。
 引越しのときはとても忙しいのは当然のことですが、今までに私が経験した最後の引越しのときは、大変なことでした。あかぎれは出来、その上玉ねぎをスライサーでスライスしているとき、右手の中指の先も一緒に、勢いよく切ってしまいました。指先をちょっと痛めただけでもあんなに何もかもやりづらいものなのですね。悪いことに、その上、足の裏にタコと魚の目ができ、引越しのためいそがしくてお医者さんに行く時間も、気持ちの余裕もなく、一ヶ月間ぐらい足を引きずりながら忙しくしていました。そんなことで指先と足の裏でみじめな日々を過ごしました。
 一つの部分が苦しめば全体が共に苦しむという聖書の言葉を思い出していました。体は元気だと思っていても小さなところの痛みが体と心にこんなにも影響を与えるものなんだなとつくづく思いました。

 さて、これは自分の身に起った一つのことですが、世の中には他のことで苦しんでいる人が大勢います。病気、災害による病、交通事故や機械による事故。またそのようなものでなくても、人々からいろいろな方法で害を受けたとき、被害者も加害者も、私たちの知らないところで、その家族や親類がどんなに苦しんでいるでしょうか。直接知り合っている間柄でなくても、私たちは、社会で生活している者として最近のニュースには皆、重苦しい気持ちでいます。これからという将来のある可愛い子供たち、若い青年達も多く苦しみを受け、ある者は殺されました。加害者の親たちもよい人間になってくれるようにと子供たちの小さいときからそう願いつつ育てたのです。可愛い赤ちゃんだった時代があったのです。そのようなことを思うとたまりません。
 社会の中でもまた小さなグループの中でも、一家族の中でも、また一個人であっても、一つの部分が苦しめば全体が共に苦しむことを私たちは経験します。犯罪を犯したり、よくないことをすると自分自身にも大変な汚点が付きますが、その親、兄弟姉妹たちも苦しみます。防ぎようのないものもありますが、自分の意志で防げるものは大変なことにならないように気をつけなければなりません。むしろ反対に一つの部分が尊ばれ、すべての部分が喜ばれるようにしたいものです。

 アダムによって全人類は罪を背負っていかなければならなくなりました。一人の人の犯した罪のための苦しみが、人類全体に及びました。
 しかし、イエスキリストのなさったことによって、その福音は、彼を信じる人々すべてに及ぶのです。あなたもぜひ、このよき訪れを探求してみませんか。

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