キリストへの時間 2008年5月4日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 静かに語りかける神

 おはようございます。山下正雄です。
 聖書には神の声について、様々な記述があります。ときとしてそれは轟きわたる雷のように描かれます。旧約聖書詩編29編の作者はこう述べています。

 「主の御声は水の上に響く。 栄光の神の雷鳴はとどろく。」

 それは地を震わせるような威厳のある声です。
 またイエス・キリストが十字架におかかりになるためにエルサレムにやってこられたときのこと、イエスの祈りに応えて天から神の声がしたと記されています。ところがそれを聴いたある人たちは「雷が鳴ったのだ」と言ってのけます。そこでもやはり神の声と雷とは区別しがたいもののように描かれています(ヨハネ12:29)。
 太くてお腹の底から響き渡るような声だったのでしょう。いかにも神らしい声というにふさわしい声だったに違いありません。

 ところが旧約聖書の中に、この雷のような神の声とは似ても似つかない神の声のことが記された箇所があります。
 神に忠実に仕える預言者のエリヤが、迫害の手を逃れて遠くホレブの地までやってきたときの話です。このホレブの山はかつてモーセが神から十戒を授かった場所です。神にまみえて、神の声を聞くにはこの上もない場所です。
 しかし、あのモーセの時代とは異なり、人々はまことの神を畏れ敬う思いから完全に離れてしまい、仲間の預言者は皆剣にかけて殺されてしまったのです。もはや残された自分ひとりではこの事態をどうすることもできない絶望感に苦しんでいた時です。
 神は洞窟の中に隠れるエリヤを連れ出して山の中に立たせます。エリヤの前を通りすぎていかれる神を描いて聖書はこう記しています。

 「主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。」

 大きな風も、大地を揺るがす地震も、燃え盛る炎も、まさに聖書の神がそこにいますことを証するような象徴的な出来事です。しかし、それらの出来事のどこにも聖書の神はおられなかったと聖書は記しているのです。失意のうちにあるエリヤが聞いたものは、それらの大音響のあとに聞こえてきた、静かにささやく声でした。聖書の中に数多く描かれる神の威厳ある声からは想像も出来ない声だったのです。それはわたしたちの先入観を覆すような声です。
 神の声を聞くということは、時としてこの静かに語りかける神の声を聞き分け、このか細い声に耳を傾けるということなのです。聖書の神はいつも雷のような大きな声で語ってくださるとは限りません。むしろ、この世の声の方が大きく耳に飛び込んでくるかもしれません。周りの雑音ばかりが耳に入って、肝心なことが何一つ聞こえないことがあるかもしれません。その中でささやくように静かに語りかけてくださる神の声に耳を傾けることが大切なのです。

 失意のうちに揺れ動く心を研ぎ澄まして、神の声を聞き分けましょう。今、神の言葉は聖書の中に余すところなく納められています。ぜひ聖書に向き合って、静かに語りかけてくださる神に出会ってください。

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