キリストへの時間 2008年11月2日(日)放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

宮武輝彦(芸陽教会牧師)

宮武輝彦(芸陽教会牧師)

メッセージ: 苦しみのただ中で祈る時

 おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
 昔、ハンナという女の人がいました。この人は、とても悩み、苦しんでいました。それは、願いながらも神さまから子供を授かることができなかったからでした。このとき神の家で、祈りをささげていたハンナの様子を聖書はこのように伝えています。

 「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。」「ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。」(サムエル上1:10、13)と。

 このとき、ハンナがあまりにも長く、声にならない祈りをささげていたので、神さまの前にとりなしの祈りをささげる仕事をしていた祭司のエリには、ハンナがお酒に酔っているのではないかと思い、酔いをさますようにたしなめたほどでした。しかし、ハンナは、「いいえ、祭司様、違います。」と答え、「わたしは深い悩みをもった女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の前に心からの願いを注ぎ出しておりました。」「今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」とその思いを祭司のエリに打ち明けました。

 祈りを終えたハンナは苦しみが和らぎ、ハンナは家族と一緒に、次の日の朝早く、神さまに感謝のお祈りをささげました。そしてこの後、神さまがハンナを心に留められて、ハンナは男の子を産みました。ハンナは神さまに願い求めて与えられた子なので、この男の子を神さまにささげてサムエルと名付けました。このサムエルは、祭司のエリのもとで仕えて成長していきました。

 わたしたちは、ハンナの苦しみにおける祈りが聞かれたことを知るとき、祈りは言葉も大事ですが、心からのものであることがとても大切なことであることを知ることができます。その心の思いが言葉にできないような嘆きであり、悩みであり、うめきであったとしても、わたしたちの心をよく知っておられる神さまは、その心の深い思いを聞いてくださるのです。
 イエス・キリストがわたしたちの本当の救い主であることを証する新約聖書のローマの信徒への手紙でも、

 「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(8:26)

と言われています。実に、わたしたちの弱さも、言葉にならないうめきも、神さまはすべてを知ってくださり、最も良き導きを絶えずなしてくださるのです。祈りとは、このように、わたしたちの心を知ってくださっている神さまにその思いを知っていただくことです。そして、祈りつつ、神さまにその思いをおゆだねし、神さまの思いにかなう生き方を求めていくとき、わたしたちはたとえ苦しみの中でも、心からの平安にあずかることができます。
 イエス・キリストも十字架にかけられる前に、ゲツセマネの園で、苦しみ悲しみながらこのように、父である神さまにお祈りをささげました。

 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」と。(マタイ26:39)。

 イエス・キリストの苦しみは、わたしたちの身代わりに十字架にかけられるための苦しみでした。それは、神さまのひとり子であるイエス・キリストお一人しか担うことのできない重いものでした。そして、その苦しみは、わたしたちの苦しみと負い目を自らのものとして引き受け、神さまの前にとりなして祈りと願いをささげることによって表されました。わたしたちはこのキリストの苦しみを受け入れながら、神さまにわたしたちの思いをありのままに知っていただき、苦しみのただ中で、神さまに心が向けられていくのです。

 今日も、わたしたちの心のすべてを知っておられる神さまの慰めと平安が豊かにありますように祈っています。

コントローラ

Copyright (C) 2008 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.