熊田なみ子のほほえみトーク 2008年4月29日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

あなたとわたしの生きてる時間 携帯とともになくしたもの

 話しことばが生き生きとしている、これは大切なことですね。今日の日、どんな言葉があなたのいのちを支えるのでしょう。
 国語力の低下を嘆いているという声もずいぶん前から叫ばれています。その原因の一つが、家族から「生きた言葉」を聞くことができないということが言われます。確かに、「携帯とともになくしているもの」の中で家族の会話があげられます。1階と2階で「もうご飯よ!」とメールで知らせてから「しまった!」と思うお母さんのお話。「ちゃんと声をかければよいのに、なぜメールをしてしまったのかしら」というわけです。でも私もありそうです。これは以前、神奈川に住む主婦の方の投書。娘の入学祝に買った携帯のお話です。その続きは、その方が学生時代に先生から伺ったお話。

 「デートの日、急用で連絡がとれぬまま、もう待っていないだろうと思いながら3時間遅れで約束の場所へ。そこに彼女は待っていた。それで先生は結婚しようと決意した。」というのです。四半世紀前の3時間。じっと待つ気持ちの中に、不安や心配がこみ上げていたことでしょう。でも愛する人を信じて待ち続ける。このような出来事が携帯とともになくなっていくのですね。待ち合わせの約束なんてしなくても「いまどこ?」と携帯メールをすれば良いのですから。「一途な気持ち」や「忍耐力」、便利さの陰で私たちが失ってしまうものに気付かされます。

 今、私たちを取り巻く状況、何千倍にもなったような情報量が溢れる時代。おそらく私たちは、全能のコンピューターに支配されてしまう愚かさを思いながらも、誰も逆らうことができない現実を抱えているのです。携帯メールではなく、生き生きした会話のある生活を取り戻したい。でもそのためにはお互いに向かい合う時間がどうしても必要ですが、その時間はどこにあるのでしょうか?早朝から出勤する夫。帰宅は深夜。「全く話す時間がない」と昨日もお話しを聞いたばかりです。そんな家族の中で子どもたちは、周りの人々の言葉を理解し、自分の考えを表現するこの力をどこで養ったらよいのだろうか?携帯メールや電話ばかりで、小さな頃から家族中の「生きた言葉」を聞くことがないのです。
 それではいったいどこに行けばよいのでしょうか?日曜日、あなたも教会に思い切って出かけてみませんか?言葉が充ち溢れる教会には、語りあう中心にイエスさまがいらっしゃり、豊かな言葉が満ちています。国籍を超え人種を超え、争いの中ではなく、平和に生きた言葉を語り合える場所が教会ですから。「生きた言葉」は、私たちの心に響き、私たちの生き方を考えさせてくれます。「死んだ言葉」は、私たちを悲しくさせ、生きる意欲を奪います。私たちの生きた会話は、まず教会で神様の言葉、聖書の言葉を聴くことから始まります。お互いが愛し合い生かし合うことができるのですね。

 今週からゴールデンウイークと呼ばれる日々。あなたはどんな時間を過ごしますか?仕事仕事の毎日でしょうか?生かされている時間の中で、生きている言葉を話しながら過ごしたいですね。教会の中で豊かな会話を味わい愛され育まれて子どもたちが成長していくことを心から願っています。「ただいま11人」という家族の中で育った私の子ども時代、携帯がなくて良かったのかな?と思ったりします。今、その家族は「神様の家族」。たとえ今どんな状況であっても、この家族の中で豊かな会話を育むことはできることを信じて歩んで行きましょう。あなたは今、何か大切なものを失っていると感じていませんか? くまだなみこ

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