ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
私は大学を出てから少し会社勤めをしました。同じ課に所属していた、他の宗教を信じている先輩から、「イエス・キリストが処女から生まれたなんてばからしい。」と言われてしまいました。確かに、処女から生まれるというのは、普通では考えられないこと、信じられないことでしょう。そういう普通では考えられない、信じがたいことを、なぜ神様はあえてなさったのでしょうか。何も、奇跡を起こして人々を驚かしてやろうとか、神様の力を見せつけてやろうとか、そういうことではありません。
聖書では、神様のお力によって処女から生まれるので、その生まれる子は聖なる者だと、教えます。つまり、処女から生まれるということは、汚れのない、罪のない、そういう状態で生まれるということなのです。そのように本人に汚れがない、罪がないゆえに、他の罪人を救うことができるということなのです。自分自身に汚れがあったり罪があったりすると、他の人を救うどころか、自分自身が救われる必要があります。ですから、イエス・キリストが処女から生まれたというのは、他でもない私たちを救うためにこそ、そういう方法で生まれられたということなのです。私たちを救うためには、そういう方法しかなかったからこそ、そのような生まれ方をしたわけです。
イエス・キリストが処女から生まれたというクリスマスの出来事は、私たちの救いのための出来事だったのです。処女から生まれたイエス・キリストというのは、私たちへの神様からの大きなプレゼントだったのです。