熊田なみ子のほほえみトーク 2011年1月18日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

あふれる慰め-スペシャルCD「病みつつ祈りつつ(2)」をあなたに

 昨年11月の終わりに第1集を全員プレゼントしました。リスナーの皆様からいろいろ反響をいただきました。
 11月30日の番組で記者さんのことをお話しました。「ガン再発を経て自分の考えが大きく変わっていった。闘病記の連載を始める決心をし、以前は社会面ばかり読んでいたのに、病室では世の中の動きを報じる記事にまるで興味が湧かなくなった。一方で苦しみや喜びを抱えて生きる姿を切り取った記事は何度も読み返し、書かれていない心の奥まで想像するようになった。」という内容でした。

 私たちも生きている中で同じようですね。皆身近な方々が病を経験します。ある方は胃が苦しい、血液検査で異常が見つかった、脳腫瘍になった、心の病の中で薬をいただき副作用で辛い…不思議なことですが私たちはどこを病むかを自分で決めているわけではないのですね。

 では「病みつつ祈りつつ」の中から最後のメッセージ「あふれる慰め」をご紹介しましょう。  くまだなみこ

「…私たちのあらゆる困難のなかで私たちを慰める。こうして、私たち自身が神から受けた慰めによってあらゆる困難のなかにあるものたちを慰めることができる」(2コリント1:4)

 聖書を読んでいますと、あふれるものがたくさんある、と言われています。ダビデは、詩編23編で、祝福の杯があふれると語りました。パウロは、キリストの艱難が私たちのいのちにあふれると言っています。また、神が私たちの試みのとき、私たちのところまで豊かに拡げてきた慰めを、それを必要とするほかの人々にもあふれさせるように願っておられるのだ、とも語られています。
 神の子らのなかで、ある人たちが他の人々よりもずっと重い荷を担っていかなければならない、試みの道があるのはなぜなのか、わたしには判りません。しかし、神の慰めが私たちすべてのものを慰め、そして、限りないほどまで慰めることができるのです。
 私は他のことも知っています。特別な恵みを受けた人たちは他の人にその慰めを携えていく特別な立場にあるという神の計画を知っています。パウロは、神は私たちを慰められる。だから、私たちも、他の人を慰めるものとなることができるという文章によって、そのことを語っています。
 私は何度もこのことが起きているのを目撃しました。以前に心を病んだことのある人が、特別なやり方で、今、心を病む患者の役に立っています。がん患者は、他の同じ病気のものを励ますことができます。こどもを失った人は、その人とよく似た辛い環境のなかにいる人々に最善の奉仕ができます。これが神の計画なのです。
 私たちの試練は私たちの奉仕の備えであるという意味なのです。
 2コリント1章1−7節を読みましょう。

 お祈りしましょう。
 恵み深い神よ 今日、勇気と励ましの言葉を必要としている人のところにわたしを導いてください。わたしを通して、あなたの御言葉を彼らの心に語ってください。主イエスによって祈ります。アーメン。

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