キリストへの時間 2013年8月18日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

後登雅博(清和学園聖書科教諭)

後登雅博(清和学園聖書科教諭)

メッセージ: 大切なあなた

 おはようございます。清和学園の後登雅博です。
 誰でも多少は、人の目が気になるものです。かく言うわたしも、人の目が気になります。清和学園に来たころ、人が集まるところに行った時は、どこかで生徒が見ているんじゃないかと思ったものでした。別に何かやましいことをしているわけではありません。それでも、学校の先生にふさわしい行動をしているだろうか、と常に人目を気にしていたように思います。

 人の目を気にすること自体は、悪いことではありません。むしろ、あまりにも人の目を気にしない方がどうかと思います。それこそ、目に余る行動をしても平気な人よりは、多少は人の目を気にする人のほうが良いように思います。いずれにしても、わたしたちが人目を気にするのは、自分と周りの人を比べるからではないでしょうか。周りの人と比べて、自分は浮いていないだろうか。自分はどんなふうに見られているのだろうか。自分のことが良く見えないので、人目が気になるのかもしれません。
 周りの人と自分とを比較します。すると、どうしても自分の足りないところに目が行きます。でも、神様は、あなたのことを良く見ておられます。しかも、誰かと比較するのではなく、ありのままのあなたを見ておられるのです。そして、そのままのあなたを受け入れてくださいます。自分はこんなことが出来ないとか、自分のここが気に入らないとか、あるかもしれません。でも、神の目から見るなら、そのままで良しとされているのです。そして、あなたのことを「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(1ペトロ2:9)と見ておられるのです。つまり、神はあなたのことをVIP、いわゆる重要人物とみなしてくださるのです。

 残念ながら、わたしはVIP待遇を受けるような有名人を見かけたことはありません。ですから想像するしかないのですが、きっと政治家や有名な人にはボディーガードがついているはずです。そして、いざという時にはボディーガードが体を張って、危険から守ってくれるはずです。なぜなら、政治家や有名人にはそうするだけの価値があるとみなされているからです。
 わたしたちには、目に見えるボディーガードはついていないかもしれません。でも、神はわたしたちのことを命がけで守ってくださるのです。イエス・キリストが十字架にかかることにより、命を捨ててわたしたちを罪による滅びから守ってくださったのです。わたしたちは、神にとって、とても価値のあるものとみなされているからです。

 自分で自分のことをどう思っているかは、あまり関係ありません。と言うか、正直に言えば、わたしたちはあまりほめられた存在ではありませんでした。聖書には、こう書いてあるからです。「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」(1ペトロ2:10)つまり、もともとのわたしたちは、神の民ではないし、神の憐れみを受けるに値しないものだったのです。でも、それもこれも全ては昔の姿だ、と言うのです。人が自分の事をどのように見ていようとも関係ありません。もちろん、自分自身の評価も関係ありません。あなたは「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」なのです。あなたがそのような、神にとって尊い存在となるために、神はイエス・キリストをお遣わしになったのです。わたしのためにキリストが人となった、という事実が重要なのです。
 誰がなんと言おうと、あなたは神にとって大切な存在なのです。あなたのためにキリストが命を捨てるほどに、あなたは尊い存在なのです。あなたは、紛れもなく神の子なのです。

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