キリストへの時間 2013年11月10日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 主イエスと出会った人々-ペトロの場合-

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 サン・ピエトロ大聖堂といえば、その名を知らない人はいないくらい有名な教会です。キリスト教信者でなくても、イタリア観光のついでに、この大聖堂を見ようとバチカン市国に立ち寄る人も多いかと思います。
 「サン・ピエトロ」というのはイタリア語で「聖ペトロ」を表す言葉です。言い伝えによれば、この場所にキリストの十二弟子の一人であったペトロの墓があったそうです。きょうはそのペトロのお話をしたいと思います。

 ペトロの職業はガリラヤ湖で魚をとる漁師でした。なぜ漁師のペトロがキリストの弟子として選ばれたのか、その理由はイエス・キリストだけがご存じです。特別に敬虔な家庭に生まれ育ったというわけではなさそうです。逆に神と無関係の世界に生きていたからというわけでもありません。このことからして、誰がキリストを信じるようになるか、人間的な予測など到底できるものではありません。きょうの話を自分に関係ないと思って、今にもラジオのスイッチを切ろうとしているあなたが、案外、どこかでキリストと出会って、キリストを信じる一人になるかもしれません。
 さて、ペトロという人がどんな人であったのかは、福音書の中にたくさんのエピソードがあります。その中でも特に取り上げてお話ししたいのは、人々の面前でキリストを否認してしまうペトロのエピソードです。

 ペトロは福音書の中でいつも一番弟子のように描かれています。十二人いるキリストの弟子たちの中で、目立った存在です。しかし、そのペトロにも忘れることができない大きな失敗がありました。それは、イエス・キリストと共に過ごす最後の夜に起こります。
 キリストが弟子たちと最後の食事を共にしていたときに、キリストはご自分の身に降りかかる苦難を見越して弟子たちにこうおっしゃいました。「あなたがたは皆、わたしにつまずいてしまう」と。この言葉に一番に反応したのはペトロでした。
 「たとえ他の弟子たちがあなたにつまずいても、わたしは決してつまずいたりはしません。たとえあなたと一緒に死ぬようなことがあっても、あなたのことを知らないなどとは決して言いません。」
 ペトロの勇ましい言葉です。

 しかし、そのすぐ後で、実際にイエス・キリストが逮捕され、大祭司の尋問を受ける段になると、ペトロの態度は変わります。もちろん、他の弟子たちとは違って、最初から逃げ出したりはしませんでした。逮捕されたイエス・キリストの後を追って、大祭司の庭にまで紛れ込みます。しかし、人々から「お前もあのイエスの仲間だ」と詰め寄られると、三度もイエス・キリストと自分との関係を否定してしまいます。
 さて、そのペトロがその後どうしてイエスの弟子として居続けることができたのでしょうか。ペトロは人の三倍も面の皮が厚くて、恥を恥とも思わない人だったのでしょうか。それとも、忘れっぽい人だったのでしょうか。そうではありません。
 それは神がペトロの罪を赦したからです。いえ、ペトロが、自分のことを赦してくださる神の憐れみを心から信じたからです。もっといえば、ペトロは神の憐れみ以外に救いはないと真面目に信じたからです。だからこそ、恥もプライドも捨てて、神がお遣わしになった救い主キリストに立ち帰ったのです。
 自分で何とかできると思っているうちは、救い主を捨てることも簡単でしょう。しかし、ほんとうに自分の弱さを知ったとき、そして、ほんとうに自分自身に絶望したときに、救い主キリストと出会うことができるのです。

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