あさのことば 2015年8月14日(金)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

木村香(川越教会牧師)

木村香(川越教会牧師)

メッセージ: 罪と十字架 6

 おはようございます。埼玉県・川越教会の木村香です。

 わたしたちは自分が完全無欠だとは思いません。しかし何とか天国には入れる。それくらいの善人、と思います。頑張れば自分のことくらい始末をつけられる。罪といってもたいして悪いことはしていない。まして救い主が身代わりとなって神さまの怒りを引き受け、刑罰を受けてくれるなんて、そんな必要はないですよ。

 聖書のいう罪とは、的はずれ、身の程知らず、ということです。罪人の一番の特徴は、自分が罪人だと認めないことです。つまり、十字架なんか知らないよ、いらないよ、と。
 信仰を持っても、この点が実感として分かりにくいのです。キリスト教は、ほんわかした愛の教え、よい人になれるかな。
 そうではありません。「わたしのためにイエス様が十字架について下さった。このイエス様を信じることによってのみ、わたしは神さまに受け入れられ、天国に入れていただける」。それ以外にないのです。

 なるほど口では「罪人だ、十字架だ、イエス様」と言います。しかしそのすぐあとで自分を誇ります。高ぶります。自分の力で人生を切り開けるように考えています。それは自分は罪人であるという本当の自覚がないからです。

 求道という言葉があります。道を求める、と書きます。実はこれは一生のことです。洗礼を受けてもう終わったような気になるのは間違いです。
 聖書に「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です(1テモテ1:15)」と書かれています。これがキリスト教信仰の神髄です。

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